予防歯科 メンテナンス

 

<中学校・高校時代>
池田中学校・高校に進学できた事が今の自分の土台となっています。でも今覚えている動機で一番強かったことは「丸坊主になりたくない!」でした。
進学校であり、自然と勉強する事が当たり前(当然試験前だけですが)でした。当時は自分が何をしたいのかというはっきりした目的はあまりなく、ただ同級生の夢に乗っかり漠然と「医者になれればな・・」と考えていました。
そして初めてのセンター試験!医学部を受験できる点数なんて取れませんでした。両親と話し合い、浪人をして再度医学部受験を目指すことになりました。

 

 <浪人時代>
ここから私の長い浪人生活が始まる事になります。一年目、福岡の某予備校で浪人・・・→2年目、鹿児島で浪人・・・→3年目、東京の大学に入学、その冬やはり「医学部に行きたい」と思い、勝手に退学届を提出し、鹿児島に戻る・・・→4年目、再度鹿児島で自宅浪人・・・→5年目、晴れて長崎大学歯学部に入学。

 長崎大学に入学するまでの4年間、本当に長かったです。「なんで何年間も同じ勉強をして、同じ試験を何度も受けて一体どうなるんだろう。早く入学しやすそうな学部に入って楽になったほうがいいんじゃないか?」いつもこんなことばっかり考えて勉強していました。でもその反面、「高校の同級生に負けたくない」という気持ちが強くあり、何度も医学部受験を繰り返しました。
医学部ではほとんどのところで面接があります。そしてこの面接を受ける際必ず投げかけられる質問が「どうして医学部を選んだのですか?」というものです。
この問題を何度も考えるにつれ、「直接人とふれあう事ができる医療に携わりたい、力になってあげたい」という気持ちを自分の中に見つける事ができました。この気持ちを感じ始めた頃に長崎大学歯学部に縁があり、お世話になる事になったのです。

 

<大学時代>
大学生活は非常に充実していました。3年生までは基礎学習といって医学部と変わらない生物や解剖の勉強が中心で、ようやく実際に歯に触れての実習が始まったのは4年生でした。この頃には現在の様に小児・矯正を専攻するとは思っておらず、インプラント等の外科に進みたいと考えていました。

なんとかギリギリで国家試験に合格し、晴れて歯科医師になった私は母校である長崎大学病院で1年の研修をさせてもらうことになりました。開業医とは違い、1人につき約1時間半かけて診療を行うというシステムで1日最高で4〜5人診るのがやっとでした。さらにまだまだ研修医のため治療がうまくいかず時間をオーバーすることもしばしば、いつも患者さんには迷惑をかけているといつも感じていました。

研修医も半年が過ぎ、そろそろ自分の進路を真剣に考えるようになりました。どのような道に進むより、故郷である鹿児島に帰ることがまず前提と考えていました。さらに鹿児島市内で将来開業したいと思っていますので、鹿児島市以外で自分を雇っていただける場所を探しました。すると大学の教員でさらにバスケ部の先輩である先生に、「霧島市で開業していらっしゃる先生がDrを探している。見学に行ったらどうか?」というお誘いを受けました。私は迷わず見学に行かせていただくことにしました。

 

病院は外科・審美歯科中心で、さらに外科をしたいと考えていた私にはぴったりの場所と感じ、ここで働かせていただこうと思いました。ですが、ここから私の転機となる言葉をその医院の先生からいただきました。それは「自分はいろんなところで働きながらここにいる。だからもっと多くの医院を見学したほうがいい。見学先は紹介してやる。そこを見てから最終的に就職先を決めればいい。」衝撃的でした。

Drを探しているにも関わらず、私のことを考えてくださっていることに深く感謝しました。その中で出会ったのが現在のルタンはうすです。患者さん・スタッフ全てが楽しそうに関わっていました。自分が何をしたいかということより、「ここで働きたい」と強く感じました。

 

これからもここルタンはうすで子ども達がよりよい健康を保つことに全力を尽くしていこうと考えています。